『補欠廃止論』(セルジオ越後 著)
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JUGEMテーマ:読書感想文
タイトルに惹かれて読んでみた。
サッカー辛口解説でおなじみのセルジオ越後さんの本。
ああ、いい本だと思う。
セルジオさんは、日本の運動部の補欠文化を批判してる。
補欠なんか廃止すればいいのに。
大人は強豪校を陰で支える補欠を美談にするんだったら、同じ学校からでも複数出場できるようにして、出来る限り試合に出られる機会を増やせばいいのに、と。
サッカー日本代表でも、ヨーロッパにいる選手が試合に出る機会を失って試合勘が鈍るみたいなのがあるけど、
やっぱり、アスリートとして成長するには、試合でしか経験できないこと、学べないことが、ある。
のびざかりの大事な時期に、全く試合に出ず、『補欠』として過ごすのは、すごくスポーツ界においても損失だ。
(セルジオさんは、補欠とバックアップ選手を区別している。バックアップは試合に不可欠な戦力だから)
実際、どこまで関連があるかわからないけど、日本のオリンピック代表のメダリストを遡ってみると、やっぱり個人競技が多い。
個人競技は基本的に、エントリーすれば試合に出れるからね。
細かいところは違ってるかもしれないけど、ざっくりいえばこんな論旨かと思う。
もう、ほんとにそう思うんだよな。。
縁の下の力持ち的なこと、補欠として忍耐鍛えた的なことを美談として持ち上げるんだったら、メディアも、何とかして補欠減らす、同じ学校からAチーム、Bチーム出られる、ように働きかけるとか、そういう問題提起してほしいなあ。
そういうこと続けてたら、スポーツ文化自体がやせ細るよ、と。
でも、こういう問題提起って、まず野球の側からは出ることないんだろな…残念だなと、子供の頃、野球文化にどっぷり浸かっていた、あざらしは思う。
セルジオさんとかみたいな議論出すのって、だいたいがサッカーとか、海外と地続きなグローバルなスポーツなんだよな。。
野球で育った人間としては、やっぱり寂しく思うのでした。
補欠って日本の文化なんですかね?
日本以外ではそういう概念ないのかな。
だとしたらなんかいままでの既成概念を覆される気分。
いっそのこと廃止しちゃえばいいのにって思いますね。